思い出のエプロン
マゴメコーヒー開業前、僕は珈琲の新たな可能性を模索するために1人ヨーロッパへと発った。
イタリアから始まった旅は、イギリス、オランダ、デンマーク、ノルウェーとひたすら珈琲を飲み歩くだけのシンプルな旅。
街角で出会ったカップや珈琲器具など、一目惚れしたものは全て買って帰ることに決めていた。
好きなもの物に囲まれてお店をやるなど道楽と言う人間もいるけれど、好きなものに囲まれた生活はとてもシンプルで逆に無駄がないものなのだ。
何かを浪費的に手に入れるのではなく、ビビっと来たものを多少高くても手に取ってみる。
そうやって手にしたものには愛着があり、行く行くも大事に扱って行くものとなる。
そんな自分の気持ちに素直な生き方が、時間や物を摩耗しながら多くを稼ぐことよりも幾らか素敵だと考えていた。
そんな考えの中、デンマークで出会ったのがこのエプロン。
これから、これを身につけて新たな仕事を始めよう。
少し高かったが、そう心に決めて買った思い出の品である。
なんでも洗っちゃう男
2017年6月某日。
ある男がマゴメコーヒーにやってきた。
その男は、なんでもかんでも
洗っちゃいます!
と、白い歯を見せながら言い放つのだ。

ついに来たか。
これは珈琲屋としては、黙ってはいられない。
なんでも洗っちゃう?
ならどうだ。何度洗っても取れなかったこの珈琲の染みは取れるのか?
つけ置きだってやったさ。
ブラシでシャカシャカ部分洗いだってやったさ。
部分的に漂白剤だってかけてみたさ。
HEY BOY、それでも取れない染みだってあるんだぜ?
改めて見ても汚い。
もはや、これを飲食業で使うのはどうか?と思うほどに真っ白だった思い出のエプロンは珈琲の染みに犯されていた。
いや、むしろ夢を叶えたからこそ汚れているのだ。
僕は誇らしげに染みだらけのエプロンを彼に手渡した。
「さすがにこれは無理でしょう。」
無意識に諦め笑いが鼻を通り抜ける。
何度洗っても取れない染みは、名誉の勲章と飲み込むことにしていたのだから、なんでも洗っちゃう彼ですら難しいと答えると予想していたのだ。
静かに皮のポケットの縫い目あたりを手で広げながら確認していた彼は、
「ん〜。これ、預かって良いです?」
と、それ以外は特に何も言わず、エプロンをカバンにしまって帰っていった。
泣く子も黙る王子でも、流石にこれは難しいのだろう。
洗濯は心まで洗うもの
王子が来てから数週間の時間が経ち、エプロンの存在を忘れ始めていた頃、1件の宅急便が届いた。
「アマゾンでなんか頼んだっけな?」
封を開けてみると、丁寧に手書きの手紙が添えられたエプロンが入っていた。
改めて、なんて謙虚で丁寧な男なんだろうと感心してしまった。
大事なエプロンと言いながら、半ば存在を忘れていた僕は自分自身を反省するしかなかった。
「どれどれ、どうなったのかしら?」
ぐっ、こ、これは!
し、新品じゃないのか?
目を疑わずにはいられないほど綺麗になって見違えたエプロンが丁寧に畳まれていたのだ。
思わず脳内はエプロンを買ったデンマークへとトリップしていた。
もはや、神のいたずらかと思うほどだ。
見比べればそのすごさがわかる。
もう取れないと諦めていた長い歳月をかけて沈着していた珈琲の染みが一切見当たらないのだ。
悔しいが、これは完敗である。
しかも、手紙に書いてある通り、皮のナチュラルな染みは残っている。
使い込んでいく過程で出る風合いを残しながら洗濯しただと?
真っ白にして偉ぶるわけではなく、彼は人の心まで洗ってしまうのか!
彼に落とせない染みはないのか?
どうしてもこの目で確かめたくなってしまった。
いつの日か、また挑戦してやろう。珈琲屋として。